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モダンソフトウェアテストアカデミー開催の背景と狙い

有限会社デバッグ工学研究所
代表 松尾谷 徹(法政大学兼任講師)

1.異色のセミナーコース:トップガン教育

 日科技連において今までのセミナーには無かった異色のトップガン教育が10月からスタートします。2月8日に行われた講演会では、先進的な企業の社内研修の事例と研修の進め方が紹介されました。ここでは、このコース企画の背景となったソフトウェア業界の人材をめぐる危機的な課題について説明します。

2.ショッキングな調査結果

 人材育成の指標となる「ものさし」として、独立行政法人・情報処理推進機構(IPA)のITスキル標準(ITSS)が広く使われています。ご存知のようにITSSでは専門分野ごとに7段階の度合いでレベルを表現します。スキル・レベルを定義するだけでなく、スキル分布の実態調査、すなわち「スキルの見える化」がIPAによって行われています。この調査は平成19年から始まり、21年度の調査の詳細は、5月に発行される「IT人材白書2010 ~岐路に立つIT人材 変革期こそ飛躍のチャンス~」に掲載されております。発行に先だって行われた、ソフトウェアジャパンの講演から作成したスキル分布のグラフを図1示します。

図1.スキル・レベルの分布  IPAの調査より

 Lev1・2 : 実務経験に入って行くための準備期間
 Lev3 : 自立した仕事ができる段階
 Lev4・5 : 特定の経験分野において部下やメンバーに対して技術指導が出来る
 Lev6・7 : 企業内の上下関係が無くても影響力を持つ真のプロフェッショナル

 図1で注目すべきは、高度な技術者であるレベル6・7の占める割合が極端に少なく、たった0.9%しか存在しないのです。しかも、少ないだけでなく、2年間で1.8%から0.9%へと激減し、日本のソフトウェア産業界におけるプロフェッショナルは絶滅危惧種「レッドリスト」に値する状況を示しています。この状況は、産業界や企業にとって危機的であり、絶滅危惧種と同様に回復不能域に入ってしまうと、自力で回復することは絶望的です。

 人材の「質」が、製品やサービスの「質」に大きな影響を与えることは明白です。製品やサービスの「質」を見える化することは難しいのですが、その傾向を示すデータが、同じIPAの調査で示されています。それは、ITサービスを購入する企業が、提供側のベンダー企業のIT人材の質を評価した調査です。図2に示すように、「やや不足」と「大いに不足」が90%に達しています。

図2.ベンダー企業が評価したIT人材の質 

IPA 「IT人材白書2010」概要より
http://www.ipa.go.jp/jinzai/itss/activity/2010summary_of_ITHR.pdf

3.悲劇的なシナリオ

 日本のソフトウェア業界は、ハードウェア(ICやサーバー)や製品ソフトウェア(OSやアプリ)の多くが、グローバルな競争に敗れる中で、かろうじて生き残ってきました。現在まで生き残った原因は、競争が国内に閉じていたからであり、グローバルな競争優位性を持っているわけではありません。海外向けのSIビジネスの多くが苦戦し失敗している現実がこのことを裏付けています。日本の市場は、最近まで供給と需要がバランスしており、質より量を供給することによって拡大を続けてきました。仕事の量が多い一つの原因は、技術進歩とビジネス環境の変化が速く、システムや製品の陳腐を追いかける再構築と移行が続いているからです。

 ITサービスの生産モデルは、マンパワーをITサービスやソフトウェアに変換するものです。マンパワーには、スキルが必要なので頭数だけでなく、質が重要であり、人材の調達と育成が企業の存亡を左右することになります。従来の育成方式は、新人を雇用し、導入教育を行い、OJTと呼ばれる、働きながら育成する伝統的な方法です。少し複雑になりますが、人材育成と価値連鎖をモデル化して図3に示します。

 ITサービスの特徴は、単純化すると人的資源をエネルギーとし、ほとんど原料を必要とせずサービスやソフトウェアを提供します。製造業が原料を製品に変換するのと比べ、大きな差があります。製造業の経営感覚で考えると、例えば人的資源を原料と読み替えることによって対比することができます。ただ、原料は長い期間の人材育成による熟成が必要ですし、熟成段階で技術が変化して陳腐化するリスクも生じます。

 図3を使って、企業間の競争について考えてみます。ある企業が提供するサービスの質と量は、その企業が持っている人材のタンクによって決まります。量が不足する場合には、外注することにより社外から調達することも可能です。外注できるリソースは、競争相手の企業も調達できるので、その企業の本質的な競争力にはなり得ません。企業の競争力は、人材のタンクに蓄えられている人材の価値=人財によって決まります。日本の企業は、終身雇用による長期安定雇用の下で、OJTによる人材の育成(熟成)を行ってきましたが、ITSSのレベル6・7に相当する高度な人財が0.9%しか育っていない事実から、この方式が、進歩の速いIT分野では機能していないことが明らかになったのです。

 日本のIT企業では人材の価値連鎖が機能不全に陥っており、量とコストで優れる海外の競合企業は、ベンダーをバイパスし直接顧客へITサービスを供給する「中抜き戦略」を展開します。一旦、この流れが生ずると、資金の流れも変わり、流れから孤立した企業は、急激に衰退する悲劇的なシナリオが待っています。

図3.人材の価値連鎖と競争

4.人材育成に求められることは

 今、何が人材育成に求められているのか、その結論は明らかです。現状のスキル・レベル3程度の人材を大量に育成する底上げ戦略では、図2に示すように、顧客にスキル不足と受け止められており、市場ニーズに合っていません。さらに、レベル3程度では、コスト的に海外との競争力を急激に失っています。育成への投資を増額して高度人材育成を行うことが困難な経済状況下では、先ず、経営層が戦略的なデシジョンを行い、プロフェッショナル育成を戦略的に位置づける必要があります。

図4.人材成長モデル:現在の育成とトップガン育成

 図4の上図は、統計的なデータから推測した、平均的な企業の年齢構成とスキル分布を人材育成のトンネルとして示しています。入社からリタイアまでのスキル分布は、成長のスピードと、レベル間の変換率を示しています。課題は、上位レベルへの育成スピードが遅いこと、育成効率が低いことです。次の時代を切り開く、レベル6・7に成長する期間があまりにも長すぎ、育成効率(レベルを上がって行く率)が低すぎることが課題です。

 高度人材育成の予算を増やしただけでは、次の時代に企業が生き残るための人財を育成できません。OJTとして職務を遂行する中で並行して進んでゆく従来の育成方法では効率が悪いので、合理的な別の育成方法を考える必要があります。

 非効率の原因は「仕事を遂行する=人が育つ」を唯一の手段とする古典的な育成戦略です。よって育成戦略を大きく変える必要があります。何故、レベル4・5からレベル6・7への進化が遅いのでしょうか。レベル4・5に大きな問題が潜んでいます。多くの日本企業は、部下やメンバーへの指導を職位に頼って行う傾向があります。そうすると、高度なスキルを習得するより社内人事評価、すなわち管理的な成果を求める傾向が強くなってきます。

 それでは、現代において求められる高度人材育成について考えると、
 ①早く育成し長く貢献する:30代後半にはレベル6・7に達成し、実務貢献の期間を長くする。
 ②積極的な投資によるプル型の人材育成:従来の育成方法ではなく、良い指導と良い機会を与え促成する。
 ③ビジネスへの貢献の高い高度人材:市場の変化に追従できる柔軟スキルを持つ。
 などが考えられます。

5.解決に向けて

 IT技術者の人材育成は、3段ロケットで表すことができます。1段目は基礎知識と入門的な職場経験で、レベル1・2と3に相当します。順調に経験を積んで自分の担当範囲の仕事を達成することができます。2段目では、1段目とは違って他者を動かすスキルが求められます。他者に影響を与える範囲は経験と共に拡大しますが、点火するには良いリーダの下でのOJTが必要になります。2段目に点火して順調に成長することがレベル4・5に相当します。

 最終段である3段目では、職務上の関係を超えた技術的な影響力が求められます。書き物であったり、設計書であったり、コンサルテーションであったり、その媒体は色々ありますが、上司-部下などの階層関係を超えて影響を与えることができるスキルです。2段目で、管理事務や上位の職位に流れ、軌道をそれると3段目に点火することは困難です。現在のITサービス現場で経験を積むことだけでは、3段目に点火出来ないのが現実です。

 昨年度にIPAが行ったIT人材育成強化加速事業報告( http://www.meti.go.jp/policy/it_policy/jinzai/IT6.htm )の「CDP」の3章におもしろい調査があります。第一線で活躍されている方約90名にインタビューし、技術者のリアルな姿や、成功・失敗段を調査したものです。多くのインタビューでレベル4・5の壁を越えるターニングポイントのようなものが語られていることからも、3段目が経験年数だけでは点火できない「何か」があることを示唆しています。

 ハイレベルな人事育成は、知識教育では意味がありません。自分で考え、問題解決と他者への影響力、めげない意欲などが必要になります。我々は2005年からこの種の研修に取り組んできました。研修生が伸びるポイントは、

10年程度の経験を持ち、まだまだやる気のある技術志向の強い技術者を選抜すること
この業界で現役として第一線で活躍しているお手本となる人に接し、考え方や生き方を学ぶこと
自分の考えをまとめ、客観的なレビューを受け、私見ではないロジカルな思考を身につける

などが必要になります。図4の下に示した、トップガンのトンネルを設置することです。

 10月から始まるトップガン育成の研修では、なるべく少人数のゼミ形式で、事例など実際の多面的な問題について考え、自分の考えを組み立てる訓練を行います。ゼミの時間とは別に、研修生個別に対応して、課題の整理から企画書作成まで指導する方法です。2005年から昨年までで3社、のべ200名ほどの研修を行ってきました。その実績から、このトップガン育成のプログラムは、人材をめぐる危機的な課題の一つの解決方法だと考えております。

プロフィール
松尾谷 徹(まつおだに とおる)
有限会社デバッグ工学研究所 代表
法政大学 工学部兼任講師
ISO/IEC JTC1 SC7 国内メンバー 同WG26 幹事
PS(パートナー満足)研究会代表
技術者の知識より、ヒトの側面に興味をもっています。その中でも人材育成、チーム育成などにおける態度変容を促進する教育コンテンツの開発と展開を続けたいと思っています。

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