論文を書くことの大切さ(2)
株式会社システムクリエイツ
代表取締役 清水 吉男
◆ 時間の使い方を身につける ◆
日常の業務をこなしながら、SQiP研究会分科会の課題に取り組むのは容易ではありません。自分1人での研究活動であれば、とっくに挫折してもおかしくない状況であっても、SQiP研究会の分科会活動としてそれぞれの分担を決めて研究活動を進めるというなかでは、勝手に「や〜めた」というわけにはいきません。これが歯止めになって活動を支えるのです。
ここで重要なのは「1日の時間の使い方」です。カール・ヒルティの「幸福論」(岩波文庫)の最初に「仕事の上手な仕方」という節があり、その冒頭に次の文章が書かれています。
仕事の上手な仕方は、あらゆる技術のなかでもっとも大切な技術である。というのは、この技術を一度正しく会得すれば、その他の一切の智的活動がきわめて容易になるからである。それなのに、正しい仕事の仕方を心得た人は、比較的に少ないものだ。「労働」や「労働者」についておそらくこれまでになく盛んに議論される現代においてすら、実際にこの技術がいちじるしく進歩したとも普及したともみえない。むしろ反対に、できるだけ少なく働くか、あるいは生涯の短い時間だけ働いて、残りの人生を休息のうちに過ごそうというのが、一般の傾向である。
原著は1890年代に書かれたものですが、内容的には今でもほとんどそのまま通用します。つまり、時間の使い方や仕事の上手な仕方というものは時代を超えたテーマだということです。そしてヒルティはこれを征することが「幸福」に繫がるというのです。
私は、この「技術」は一種類ではないと考えています。たとえば、先に触れた「論文的思考」で問題を解決する技術もこれに含めてよいでしょう。ヒルティは、この本の少し先に「時間のつくり方」という節を設けていて、そこには時間を作り出す汎用の方法が書かれています。もちろん今でも使えます。智的活動(知的活動)をする人にとって共通しているのは、これらの技術は時代を越えて有効な技術だということです。
ところで時間は余りませんね。あれば全部使ってしまいます。家計のやりくりと似ていて、天引きという手段を使わない限り簡単には貯金は溜まらないのと同じように、時間も先に取ってしまわないと余ってくれません。
現実の問題として,多くの人は次々に発生する問題の対応に追われています.それは必要な知識や技術の習得が不足した状態で業務に就いているためです.そうした状況で発生する問題に対処しながら、同様の問題を発生させないための方法(技術)を手に入れなければ、人生のすべてがバグ潰しで終わってしまいます。
このようななかでSQiP研究会の分科会の活動をするには、たとえば1時間か2時間、最初に分科会の活動に使ってしまうことです。そうすれば現状の業務には残りの時間で対処する方法を考えざるをえません、このとき「今でも時間が足りないのに」という思いとの戦いが生じます。もしここで後退すれば、混乱している業務への新たな対応方法は手に入りません。でも、ここで踏ん張れば、それまでとは違った対応方法を引き出すことができるでしょう。
ここで問われているのは、その状況にあって新たな工夫を生み出せる可能性を持つ自分を信じることができるかどうかです。 SQiP研究会の分科会活動では、もしかするとこうした選択を迫られることになります。人生のなかで「自分を信じるかどうか」という選択に遭遇することは何度もあるものではありません。(まさに人生のドラマがそこに展開するのです)
SQiP研究会の分科会では、こうした場面を乗り切って、ほとんどの人は「時間の使い方を変える」ことに成功しているのです。それは彼にとっては単に時間の使い方が変わったというだけではないはずです。
私はアミエルの次の詩が大好きです。
心が変われば 態度が変わる
態度が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 人生が変わる